「世界で日本人として生きたい」
その言葉に惹かれて、仕事の合間に藤田嗣治展へ足を伸ばしてきました。
生涯の半分以上をパリで過ごし、常に戦争とも背中合わせでいながら
中南米やアジア、一時日本に定住しながらも安息の地をやはりパリに求めた藤田嗣治氏、1913年に26歳でパリに渡った彼のエピローグの冒頭に、「当時のパリの前衛芸術に圧倒されながらも、自分がここで絵を売って生活しうる絵画とは何か?に直面する。」との言葉に、いきなり私は心をぎゅっと掴まれた気持ちに・・・。
なぜなら、自分の場合はもっと不埒で単純なものではあるけれど、コスタリカに住んでいた時に貯金が底をつき、スペイン語もろくに話せない私が生活費の足しにするために何ができるか?で、苦肉の策で生まれたのが折り紙イヤリングと習字で名前を書く。だったので、絵画でも?と驚いたのです。
生活しうる絵画
描きたい絵は何か?何を表現したいのか?ではなくて、生活しうる絵画とは何か?のリアリティーに藤田氏の成功回路の起源を見た気がしました。
*日本の究極の美である黒の表現、それを超えるための白
*墨の奥深さ、和紙の柔らかい個性を白で最大限に表現するための裸体という題材
*西洋画になく、日本画にあった質感の表現方法
*西洋画の逆を行くという貪欲さ
自分の絵画の未来について真剣に状況を分析し、真摯に洞察し、
”ならば自分はこれをいく!”との思想で一つの藤田スタイルを確立していった思考力、
質感を重要視した白の表現力、「乳白色の下地」と言われた哀愁のある独創性。
そこに行き着くまでの、また行き着いてからも貪欲に自分のルーツや、西洋と違う彼らしさを
追求する描写に大変心を打たれた展覧会でした。
世界を生き抜くためになぜ自国の文化が、精神が大事なのか。
彼の生き様と、生き抜くために生まれ出た表現。
藤田嗣治のアイデンティティが凝縮されたその絵画には、なぜ自分のルーツを大事に思うことが自身を想像以上に発揮させることができるのか?という問いに一つの答えをくれるように思います。
「世界で日本人として生きたいと願う。
それは、世界人として日本に生きることになるだろうから。」
国とは、アイデンティティの土台となる大地なのかもしれないですね。
私も世界で日本人として生きたいと願う者の一人です。
日本についてまだまだ知らないことが溢れんばかりではありますが、母国の美学と知恵を凝縮させた着物がいかに人を魅了し、豊かな心持ちにさせてくれるかを洞察、そして提案し続けることでしょう。
【年末忘年会・元日お正月の着物お着付け 早朝も承ります】
相模原市、東京都多摩地区周辺にて着付師を探されている方、レンタル着物・お持ち込みなどご不安な点がある方、
どうぞお気軽にお問い合わせください。
(その他の地域・都内への出張着付けも承っております)
お着付けの料金詳細はこちらからどうぞ。
キモノワールドライフ
パーソナル着物スタイリング
齋藤優見